KUMON(くもん)🖋を始めた4人の子供

子供の勉強
With friends everything is easy. Teenagers students sitting in the classroom and talking.

長男、長女、次女、次男の4人が公文式✏に通い始めました。
1人約8,000円/月となり、計約32,000円/月 中々の出費です。
 実は、私は公文に否定的な考えを持っていました。そんな私の検討経緯と、踏み切った背景をお話しします。

高校入学時、公文生と出会った衝撃が忘れられない💨

私は公立小、中、高、大と進んだ一般サラリーマンです。
幼少期から真面目に両親の言いつけを守り、学校から与えられた学習内容を律儀に漏らさず進めていました。田舎だからなのか学習面において熱心な地域ではなく、真面目に宿題をこなしているだけで優等生・神童扱いです。進学校と呼ばれる部類の高校(偏差値70前後)に進学しました。

 そこで出会ったのは公文優等生だった人達です。高校最初のテストで「積分」が出題されました。
 「ん?なんだこの記号は。これ何か見たことあるけど、習ってないぞ」
 もちろん未回答となりました。

しかし、その数学テストで高得点を叩き出している輩がいるではありませんか。「どうして?問題文だけから理解したの?春休みの宿題とかだった?」私の頭はパニック状態😨です。

自分
自分

どうして満点なの!?

公文ガチ勢
公文ガチ勢

え?小学5年生のときに公文で習った

先取り学習!?  衝撃でした。そんな世界があったなんて・・・

 ここで問題なのは、私は学習面に関してサボっていないと自分で思っているのです。なのに、いつの間にか公文をやっていた人たちと大きな差がついていました。それは、後で知る「中学受験組」という化け物達の存在も同じです。
ネットもあまり普及していない時代で、私の両親を責めることはできません。周りの保護者も、とりあえず「公立進学高校から地元国立大学へ行ったらスーパーエリート」という認識で洗脳されていました。

やる必要はないと思いつつ🙄 やっておいてもいい😀 それが公文

 父になった今、私は巷に溢れる 幼児教育・知育 と呼ばれる類には否定的です。
子供がすごいスピードで入れ替わる絵を見ている様子をねっとりとした目で見守る保護者や、早いうちから多くの国旗や円周率桁を覚えて自身満々に唱えていく子供を見ると、何とも言えない違和感を覚えます。
 ※メカニズムは理解します。脳の許容量や集中力をうんたら
サービスとしてこれだけ普及するということは、やはり需要はあるのでしょう。

公文も幼児教育等に同じだと思っています。「必ずやる必要はないけど、別にやってもいい」
現実に、やっていた友人と確かな学習面の差が「気付かない間に」生まれていました。確かに、地方公立小中学校の進度に沿ってただ進んでいるだけで、私にとっては物足りない時間がありました。ヌルゲーというのでしょうか。進度が遅く感じ、余暇が多く、興味のないTVを見たりする時間も多かった気がします。

もし、自分が周りの友人達が先取り学習をしていると知っていたら、それが当たり前として励んでいたと思うのです。

 1️⃣今の時代に、子供に「勉強が人一倍できなきゃ」とか、微塵も思ってません。ただ、彼らは親が与える情報内でしか暫く動けない以上、その年代までは「そういう世界もあるぞ」は知ってほしいのです。だから、家でネットプリント印刷して学習させるのではなく、机に向かってる同年代を見てほしい。これが「やっておいてもいい」理由です。公文で常識的な範囲(小中)をさっさと終えて、後は好きにしてほしいと思います。

 2️⃣大人になった際に、興味好奇心旺盛で、探求をする行動力や独創的な研究発想ができる人間には、最低限の知識が必要ではあります。なので、筆記的な学習の必要性を否定はしません。(また、そこだけに打ち込める人間も素敵な人が多いです。)ですが、これらはどちらかというと感動的な体験や生き方で大半培われると(私は)考えてます。これが「やる必要はない」と思う理由です。
 ※ただ、逆説的ですが「興味好奇心旺盛で、それの探求をする行動力や独創的な研究発想ができる人間」は所謂「お勉強」もそつなくできてしまう人間が多い気もします。難しいですね。

公文開始から数か月後、子供達の様子

 我が子の様子ですが、めちゃくちゃ楽しんでやってます。何が彼らのツボにはまっているのか不明です。
 ただ、私のポリシーから「夜はプリントをやるな」と言ってます。本人達が夕食を食べ終わってから後はもう寝るだけの自由時間に「公文やりたい」とせがんできても、そこだけは断固拒否です。いつも通り「朝起きてやりな」と一蹴します。※私の「子供が夜勉強するなポリシー」は後日

 彼らは切り替えて、勝手に好きな本とか紙芝居・おもちゃに夢中になります。あとは私とプロレス、サッカー、カードゲームとかですね。

しばらくして、問題のレベルが上がり、彼らが「もうやりたくない」と言ってくれる日を心待ちにしています。
また、いつしか彼らが出会うであろう「本物の天才・秀才」に勝ちたいと願った時に、今の公文が少しだけ補助輪になってくれたらもう役割は終了です。

朝の父と次女の会話

父:お、公文プリントやってんの?お父さんにも教えてくれ。
次女:邪魔しないで。
父:え・・・
次女:○○のプリントなんだから!邪魔しないで。
父:ごめん。集中したいのか。なんか分からないとこあったら聞いてね。
次女:お父さん、どうしてお父さんは○○の邪魔するの?
父:いや、邪魔しているつもりないんだよ。
次女:つもりがなくても、相手の気持ちを考えなきゃダメなんだよ。わかるでしょ?
父:そうだね。それ先生の真似?
次女:いまプリントやっているから答えられませーん。あっち行ってください。
父:はいー
次女:えっと、11,12,13,・・・ 
父:(お、数えてんなー)14, 15・・・
次女:邪魔しないで。
父:(前はあんなに教えてっ子だったのに)プリントやめてお父さんと遊んでくれ、かなしい。

父 < プリント となり、悲しかったです。 

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