2割弱の小中学校の年間授業計画がとても多く、逼迫しているとのこと。
共同通信様が載せた記事です。
2割弱の小中、標準こま数大幅超 公立校の年間授業計画、文科省
平日5日間消化として1日7コマ授業が少なからず1日は発生(ということは3~4日が6コマ)することは、児童の負担は大きい としています。学習内容が多すぎるとのこと。
本当かな。😗
6コマはもちろん、7コマが1日2日あるくらいなんてことない と思っちゃうんですが、時代も違うし人によるのか。そこらへん考えます。🙂
確かに増えた 学習内容(英語とプログラミング)

私の頃よりは間違いなく学習内容は増えたのでしょう。
小学生では英語なんて一部の塾や英会話行っている同級生しかやっていなかったし、プログラミングなんて用語すら知らなかった。
でもね、夕方の保育園帰りに我が子達を連れて公園に行くと、いるわいるわ。学校終わりの小学生達が集まって(たむろして)
・・・・
なんと、めっちゃゲームしてます。🙄
(たまにサッカーや鬼ごっこなど楽しそうな遊びをしている一団も。いいじゃない。)
文部科学省の皆さん
まだまだ余裕ですよ。余裕があるから、公園に集まってゲームをするんです。すごい昭和チックな考えですが(私は平成産まれでい💢) 時間的逼迫があれば、子供はその制約の中で集中して遊べる手段を勝手に考えます。それこそ、時間制約を決めてオンライン対戦(友達同士)にしようとか。※家に他人を入れたくない昨今の家庭事情も起因しているとは思いますが
全然ゲームはいいですよ!むしろゲームに熱中!素晴らしいと思います。😁
でも、「これから世界で戦える人材を~」とか「AI共存を念頭のイノベーション人材を~」ならば、隙間の余暇を自分の感性で過ごせるようになるべきです。
・今日はあの虫を捕りに行きたい。
・買い物を一緒に手伝った後に、豚汁を1人で作ってみたい。
・学校の算数の宿題の発展問題を知りたい。
・国語の教科書に出た内容の原文を図書館で探したい。
・友達と野球したい。
・今日は友達とゲームをとことんやりたい。
あの子供達はたまたまその日は公園で友達とゲームをしたい日だったのか😶
私は放課後 あまりに暇すぎて友達とあらゆる公園に赴き、エロ本が落ちてないか町中を探し回る小学生時代を過ごしました。
たかだか放課後の1時間程度が長くなる日が週に1日2日増えるだけで逼迫って、ブラック企業社畜戦士に謝ってほしい。
しかも公教育の学習内容が増えることって、学べることって格差問題視点からでは大変良いことなのでは?どうなんでしょうか。
子供のエネルギーをなめるなよおおおおお

コマ数が多いというけれども副教科と呼ばれる群も含んでます。
- 家庭科
- 音楽
- 体育
- 総合
- 技術(図工)
- 道徳(小学生のみ?)
それが楽 とまでは言いませんが、私はこの科目が大好きでした。友達と集中しながら楽しかった思い出があり、休憩のような感覚です。
児童が逼迫して忙しいねん 言うてますけど、本当でしょうか。
というか、主要科目(国語算数理科社会)についても先生が楽しい授業を展開すれば45分や50分の授業なんてあっという間に終わってしまう。
きついのは大学からやる気のない教授によるやる気のない授業160分(80分*2)連続 などです。あれは地獄・・・😅
時間よりも質を重視した教育提供を期待したいです。
むしろ学校での授業の充実は良いことでは?
とならないのだとしたら、学校終わりの放課後に労力を費やす予定が詰まっているのが原因と想定します。学習や伝統系、スポーツ系の習いごとはたくさんありますからね。
それでも、あの頃の子供のエネルギーは無限大😊
何でも、いつまでもやっても大丈夫!(寝る時間さえ気をつければ)
お風呂や布団に入った後にすぐ寝てしまうあの使い切った日々を継続することが、エネルギータンクを大きくしていく大切なことではないでしょうか。
取捨選択をする大人達

✅中学受験組の多忙さは本当にすごいです。(主に高学年から)
プリントの量が尋常じゃない話はよく聞きますし、親がスケジュール管理をしなければ到底無理だと。それはいいのか、と思いつつもそのくらい熱中して学べる子供は幸せかもしれません。嫌々ならば何かを見直した方がいいと思いますが。
✅また、スポーツエリートの道を歩む子供達の忙しさも馬鹿にはできないです。
週何日練習 ではなく、毎日です。それも土日祝日含めての自己研鑽。
好きだから頑張った記憶がない本人達の後ろに、親御さん達の時間調整の苦労が見えます。
✅それに負けないくらい、ピアノや稽古系のガチ勢は本当に尊敬します。
とんでもない練習量をこれも毎日継続します。
上のような(過程はともかく)すでに一本に絞った人たちはそのまま突き進めばいいさ。
なんか腹立つのは、これからいろいろかじっていく段階の小学校中学年世帯に多い「大人」の取捨選択民です。
➤中学受験の勉強が忙しいから好きだったサッカーかピアノをやめた方がいいと思うんだけど。 (私はプロになれる可能性も薄いし時間コスパ的にサッカーをやめてほしいかな)
➤ピアノに本腰を入れたいから平行していたダンスをやめた方がいいと思うんだけど。
➤バスケ一本でいった方がうまくなると思うから、水泳はやめた方がいいと思うんだけど。
(そして、最後に〇〇はどう思う?お母さん(お父さん)はこう思うな)
大半の大人が「子供と相談」した前提で進めたいため「どうする?」と聞きます。
子供は賢いです。
親が自分にどうしてほしいのかを察知して、親の考えている要求を自らの口で話します。
実質、相談になってません。強制です。😑
親が「みせかけの相談」をするきっかけが、
・子供がある分野において、突き抜けそうな能力を発揮した時に更にそれを伸ばしたい
・平行して取り組んでいるものの、どれも芳しくない成果が出た時に範囲を狭めて集中させたい。時間的余裕で改善したい。
この2つが多いです。
これに対して私の考えは「大人が決めるな💦」です。
どれも子供が「もう無理」「これは飽きた」というまで続ければいいんでは。
子供が実は
➤楽しいけど集中を要する塾の学習に対してサッカーをしている間は本当に息抜きになる。
➤ピアノは1人で向き合う練習だけど、ダンスは皆とやるからこっちも楽しい。
➤バスケは走って疲れるけど、水泳の水中に潜るのは本当に気持ちがいいし気分転換になる。
と思っているケースも全然ある。そんな中で断たれると後悔が残るのでは、と思います。
そんなことを言うと彼らは言います。
「いやいや、全部中途半端になって 何も得意にならなかった・成果を残せなかった方が後悔するでしょう。」
しないって!😆
もしそれで 得意にならなくても、結果が出なくても いいじゃん。
あんたは子供にどうなってほしいんだ。元気で笑顔ならいいじゃん。
子供が、「これしかやりたくない。」「水曜日遊びたいからこれ辞めたい。」と、勝手に言ってくるまでやらせりゃいいじゃん。
習い事に未来を求めるのは少し違う。それは本当に全人類のほんの一部の外れ値才能を持っていることが明らかな場合だけ。基本は楽しむためでっしゃろーが。
親としてできることは
・子供が自分で決められるように、取捨選択できる情報をしっかりとインプットしておく。
(特に好きなことがあるならそれ一本だけでもいいんだよ。を知っておいてもらう)
・会話をいっぱいする。(いつでも辞めたいと言いやすいように)
・応援をいっぱいする。(結果を期待しないで、親もそのコミュニティを楽しんでいると子供も嬉しい)
確かに、取捨選択は大事です。人生の決断とも言えます。
でもだからこそ、それは子供が自身で決めるべきだと思うのです。
始めさせたのは親でしょう。その責任は、子供達が自分で終わりを納得のいく形までサポートしてやることだと・・
まだ、「ごめん!申し訳ない。お金が足りないからバレエ教室やめてくれ。すまん!あそこ月謝高いねん。その分、週一でアイス買ってやる。」の方が親として潔いし子供がそれは仕方ないしなと思いつつ、バレエをやらせてくれたありがたみを感じてくれそう。
すいません。身近にそういう家庭が多かったので熱くなってしまいました。
結論:忙しくても子供が楽しそうならOK
父と次女(5歳)の会話
父:ごめん。お父さん体調悪くて、今週のプール送ってけないわ。お休みしよう。
次女:そっかー(ニコニコ)
父:あれ。なんか嬉しそうだね。○○(次女)は実はプールがあんまり好きじゃない?
次女:違う。好きだよ。
父:え。じゃあなんでプールがお休み聞いて嬉しそうだったの?
次女:好きだけど、あしたはプール行きたくないなあって思ってたの。いつもは行きたいよ。
父:そうなのか。行きたくない日もあるしな。毎回聞いてると思うけど、もし行きたくない日とかあれば遠慮なく言ってね。楽しんでくれなきゃ悲しいからさ。
次女:うん!明日はお父さんのチョコレートを作ろうと思ってお母さんと相談してたから、プールだと時間ないなあって思ってたの。秘密ね。
父:秘密って誰に。
次女:あ!お父さんにだった。じゃあ、お母さんに内緒にして。
父:ん?○○がお父さんにチョコレート作る作戦を話してしまったことをお母さんに内緒にしてってこと?
次女:そう。ん?なんかよくわかんなくなってきた。
父:お父さんもだよ。
次女:もうばれちゃったから、プール行きたいなあ。
父:いやだから、お父さん咳がすごいから行けないってば。
次女:そっかあ。悲しい。そーだ!!じゃあ、お父さんもチョコレートを作ろう。
父:おー いやだ。寝たい。
次女:あ!イジワル王子だ。
なんかとりあえず楽しそうなんで、よかったです。
次女とはいつも話が嚙み合いませんが、実は一番 のほほんと癒されたりします。
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