本棚を整理していたら出てきました。私の大好きな漫画「ドラゴン桜」
掃除そっちのけで再読が始まり、「あ~面白いこと言ってるわあ」と今の時代でも考えさせる名言が数多くあります。
今日は桜木先生が「型にはまれ!」とお話した内容について、子供を持った今の自分がどう感じるかお話します。
ドラゴン桜の教育理念は「詰め込み」
「詰め込みこそ真の教育である」
桜木先生然り、ドラゴン桜に出てくる名教師共々こう生徒に話します。
理由は、皆が言う「独創的な発想、ひらめき、は基本なくして生まれない。大事なのは物真似のような始まりから型を身に着けること。」だから。
うむ。納得。(個人的に)
スタートのベースがなければ何も導けないのはとても分かります。
詰め込み=型にはまる というのを考察したいと思います。
詰め込み型は悪なのかどうか
私の結論は、「子供の感情や事情を無視して詰め込みは良くない」と思います。
その子なりの考えがあり、興味のない学習内容をいくら大量に提供されようが、それは苦痛でしかありません。
※この印象が強いから、昨今の非認知能力や自己肯定感 などの言葉が必要以上にもてはやされている気がします。
だからといって、子供になんのおかずも与えず、白米だけで生きて幸せに生きろ なんて教育も中々です。
ベースとなる白米が親や身近の人からの愛、友人関係がふりかけ、経験や体験・感動がハンバーグ、ナレッジ的学習が彩るおかず群
うん。なんか重要性的にはそんな印象です。
その子はどんなお弁当が好みなのか、腹がはちきれる「詰め込み」満腹弁当でなくとも、いろんな具材が使われている「かわいい」お弁当なら誰でも食べれるのではと思います。
桜木先生は「そんな子供の事情なんか構ってられるか」「下呂吐いてでも食えば胃袋はでかくなるんだよ」とでも言われそうですが。😅
カービィ型には「詰め込み」にはならない
時代の流れはまさに大非認知能力時代。学歴なんか糞くらえ。まずは非認知能力を鍛えよ、と。総合力学習の名のもとに、AO入試が活発化しています。
「親からのこの声掛けが~」「幼少時代のこの経験が~」
それも大事だと思います。
ただ、私の所感では「貪欲である人間」が一番優秀です。そしてこ貪欲マンは、割合的にしっかりと学生時代の勉強も取り組んでいた人が多い印象です。
好奇心旺盛とも言えるかもしれません。
そして、そんな彼らはこちらから「詰め込み」をしなくても、勝手に自分からカービィのように「吸い込んでいく」のです。
子供に親がしてあげられる詰め込み
①朝の100マス計算競争
②常識的な知識群(お金に関すること)
③家事手伝い
④質問されたら一緒に考える(もしくは調べる・答える)
この4つだけでいいのでは と考えています。
子供が何に興味を持つか、何を好きになるかは(性格や遊び方を観察すると分かる気がしますが)ランダムです。
親はそれを許容し、好きなだけそれに打ち込める環境を提供する他は上記の4つだけで十分だと思います。
完全に個人の感覚です。ただこの4つは妥協しません。
多少の熱があっても100マス計算の勝負をするし、洗い物をしてもらいます。
「嫌だ!やりたくない。こんな面倒くさいことやってられるか。
俺は大人が勝手に決めたルールには従わねえんだ!」
思春期になり、ドラゴン桜の矢島のような反抗を楽しみにしています。
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